自分の生き方を考えるための日記

最大の読者が私だということを書き手の私は肝に銘じよ

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ITにおける離散化が強いる概念の離散化

SNSで「フォロワー」「友達」に登録するとき、「彼・彼女は友達なのか」と考える。もしくは、友達なのかどうか深く考えず、知り合った人は「友達」としてしまう。本来、ITが発達していなかった時代は、友達になる以前や、友達なのかはっきりしていない状態で、友達なのかどうかの結論を出せ!と第3者に迫られる場面はほとんど存在しなかった。その時代には、友達でない状態から友達になるまでの過程は連続的であった。お互いが、お互いにとってどういう存在であるのか、考えるための時間があった。環境があった。その過程で、「100%友達」とは言えなくても、連続的な状態を取るからこそ、「友達」でないことにそれほど抵抗はなかった。そもそも、相手がこちらを友達と思っているかどうかなど知りもえないし、相手が友達かどうか判断してるかどうかもわからなかった。「80%友達」と言うように、中途半端な状態も取れるわけであるから、その状態がどういう評価なのかもよく分からないし、気にすることでもなかった。ある場面では友達だし、ある時は他人のように振る舞うということもあった。以上のことはもちろん現代でも続いていることは多いとは思うが、ITがむやみに「友達」「フォロワー」というレッテルを知り合いに貼ることを強要したために、以前より有意に減っていると私は思う。特に、相手がどんな存在なのか考えるということ、そして、相手が友達だと思っていない状況を許容するということが、大事な役割を果たしていたと思うのに、現代ではそのような機会が減ってきている気がするのが残念である。

ここでも、「言葉」の問題に行き当たる。言葉は強い。連続的なものでも離散化して、固定してしまう。適切に使えば本当に心強いのだが、使いこなすことが難しい。

IT界は、言葉を リアルな世界での言葉の使われ方に敬意を払いながら 使いこなしていく必要があると思う。

量子論と、bumpの「カルマ」

bump of chickenのカルマを聴いていて、歌詞に量子論の言説っぽいフレーズが多いことに気づく。

 

物質は、小さな粒子が集まってできていると考えられる。我々の体だって、水分子などの分子で構成されており、さらに細かく見れば、原子、もっと細かく見れば電子・素粒子で構成されていると考えられる。ところで、量子論では、粒子は実は波でもあるとされる。bumpのカルマの曲を聴けば、「鼓動」が波動を表すと、無理やりではあるが解釈できる。本当は心臓の鼓動が我々の命・存在を表しているつもりで書かれた歌詞なのだろうけれど、しかし、量子論において波動は物質の存在を表現するものであるから、この解釈はあながち悪くないのかもしれない。どうでもいいことだけど、「重なって揺れる」という表現は、周波数が近い波が共鳴現象を起こすこととみなせるから、物理的メタファーは意識して書かれた歌詞なのかもしれない。

そのあとに続くのは、正規化の話と解釈できる。「正規化されている」とは、波動の存在確率を全空間にわたって積分すれば1になる、すなわち、全空間にいる自分をすべて拾い集めてくると、それは1(過不足なく存在すること)だということである。ただ、この正規化の解釈には少し無理があるかもしれない。2つはちょっと入れない、というところが、積分して2にはならないと無理やりこじつけられるぐらいである。それに比べれば、そのあとに続く0と1の間というところは、もっとわかりやすい。量子論では、実は量子の状態が、0と1の重ね合わせの状態を取りうる*1。観測されれば、0か1のどちらかに収束する。触り合うことも、触覚的な観測であると考えれば、触り合って形が解るのは、量子状態が0か1に収束することと読めなくもない。

 

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しかし、ここまで書いてきて、やはり思うのは、量子論の話と解釈するのは無理があるのではないかということである。

そもそも、量子論は、あらゆる物質の存在や現象を記述するための学問*2であると考えれば、我々の存在についても当然当てはまる、もしくは親和性がある、わけであり、我々の存在やカルマの存在について書かれた文章は、量子論と親和性があって当然とも思える。

(まあそもそも、ロジックの構造が似ていれば、我々は比喩であるとみなしてしまいがちだが、ロジックというものは普遍的なものである以上様々なものがロジックの構造という点から見れば似ているのであり、作成者の意図がなくとも比喩であると人々に捉えれてしまうという構造があるのではないかと少し思う。)

逆に言えば、カルマの存在が量子論を使えば一応説明できなくもない可能性が感じられる。

実は、量子論で説明される現象の一部は、心の現象と考えればわかりやすい*3。特に、観測されて初めて状態が定まる、というのが心理的で本当に面白い。量子論が心の現象を記述できるかどうか不明だが、少なくとも、非常に面白い学問なのである*4

*1:もし違っていたら御免なさい

*2:違っていたら御免なさい

*3:私も元々思っていたのだが、テレビで竹内薫氏も言っていた

*4:正規化の話は、哲学における自己の定義にも関連しそうである