自分の生き方を考えるための日記

最大の読者が私だということを書き手の私は肝に銘じよ

日本における社会の分断は

EU離脱、トランプ新大統領当選と、主に海外での社会の分断が話題となった一年であった。ISや、発展途上国での内紛はどこか他人事のように思えていたが、先進国であるイギリス・アメリカという国で、事前の予兆少なくこのような現象が立て続けに起きたことには注目せざるをえない。

 

 

日本における社会的な分断はどうだろうか?

 

イギリスやアメリカに見られたような、政治的なこの手のどんでん返しはあまりない気がする。理由は複数ある。

まず、EU離脱やトランプの件は、やはりイギリスやアメリカは油断していたと思う。大半の人はもう一つの選択肢が選ばれると思っていた人が多いように思うし、「ギリギリ勝てばいいや」と思っていたように思う。日本人はやはり、「万一のことがないように」と自分の責任を全うする大人は割合としては多いように思う*1

次に、アメリカ人やイギリス人は、自分の不遇を、選挙の投票で示したかった人が多いと思われるからである。EU離脱も、現状に呆れていることを示したいが為に(離脱は絶対にしないと思っていたから)離脱はしたくないけど離脱に投じたという人もいたと聞く*2。アメリカについても、現状に対する不満がトランプ氏の勝利につながったと分析する人は多い。一方日本人は、やはり結果的にどちらが勝ったほうが良いだろうかと、冷静に分析する人が多いように思う。少し前の都知事選で、粉末候補にほとんど票が入らなかったことに私は少し安心した(いや、この状況が今後も続くとは限らないので安心はできない。アメリカやイギリスでさえ、今までの選挙結果から今回の結果は予想できなかったのだから)。

 

かなり日本社会は特殊だと思う。

では日本には社会的分断がないかというと、そんなことはないだろう。

日本人は「本音と建前を使い分ける」というが、それは表面的には分断がないように見えても、根本的にはかなり分断している可能性を示唆するものである。実際、表面的には仲が良いが、実際はお互いにそれほど仲が良くないと自覚しているという集団に所属した経験がある人は多いのではないだろうか。

これはもしかしたら、これから迎える社会的な分断の危機には強いのかもしれない。そのようにも思える。というのも、表面的には絶対に分断しないという体裁を保ちながら、しかし本音の面では分断的になることも多少は許すという、力をうまく逃す構造(いわゆるあそび(ゆとり)の部分)があり、柔らかく形状を保っているようにも見えるからである。

ただ、いまやインターネットがこれほどまでに発達した。インターネットは、主に文字などの情報を介して人々が繋がる場である。直接会うよりも、伝わる情報は限りなく少ない。建前と本音のうち、建前の部分ぐらいしか伝わらないだろう。もちろん、本音を書く人もいるだろう。しかし、先日のエントリーで話題にした「炎上」は、そのような本音に対する論理的な批判であり、それは社会の「建前」的部分を保存する作用のように思える。やはりインターネットは建前のほうだけが伝えやすいように作られているように見える。自分と違う立場の人たちに関する情報のほとんどをインターネットで得るような時代には、もはや違う立場の人々の本音は知り得ないのではないか。この作用が過度に進めば、「本音と建前」で柔らかく保たれていた社会の構造は、建前一色にカチカチに固まってしまうのではないだろうか。

しかし、よく考えてみれば、今までも、自分たちと違う立場の人々の本音を知り得る場はほとんどなかったかもしれない。知り得る情報の大半は建前だっただろう。

そうはいっても、インターネットは、明らかに建前を建前として受け取れるリアルでのやり取りと比べれば、「正しい情報を得た」と錯覚してしまいがちで(特に日本人はネットの情報を信じがちと言われるそうだ)、そのリスクがかなり大きいように思う。

私は以前から書いているように、インターネットは人類には早すぎたと思っている。それでも、今からインターネットのない世界にすることは不可能である。現代を生きる一人一人が、このような社会の「本音と建前」について、注意深く見極めをしていくしかないのではないかと思う。

ここまで論じてきたような時代の流れによってもたらされる不均衡は、見方によっては、「本音と建前の使い分け」という部分で、その大半は「建前」における表面的な絆によって回収されるだろう、という楽観的な見方もあるかもしれない。しかし私は悲観的に見ている(見てしまう)。このような現象を、全て「建前における表面的な絆」と解釈するのは、建前と本音のアンバランスをもたらし、社会の仕組みが破綻してしまいかねないと思う。

インターネットには今後も、嘘も、本当のことも、本音も建前も書き込まれるだろう。それは今までリアルの世界でできていたように、人を見て正しいかを判断することは難しい。我々はインターネットの情報を過度に信じすぎず、しかし適切にインターネットの情報を使って、判断をしていかなくてはならない(そしてインターネットで情報を発信する側も、相手に正しく伝わらなくても仕方がないと思って情報を発せざるを得ないだろうし、情報を発信する側と受け取る側、お互いの配慮が必要となるだろう)。また、必要に応じてリアルの世界で行動に移し、インターネットから得られる情報を補完していかなくてはならないだろう。

 

日本社会は(日本社会だけではないだろうが)、本音で言うと、様々な面で分断しているのだろう。高齢者と若者、男女、先日hatenaのホットエントリであった大卒と高卒、もっと細かくみれば、一人一人意見が違うことを皆自覚して生きているだろう。見かけ以上に、日本社会は多様な社会で、それが表面に現れにくい(現れないようにしている?)社会なのだろう。この多様性を保護するためのコミュニケーション技術は、一人の力では作り出せないものだろう。多少は日本でも、社会が揺れる(また各人の周りで何かしらイベントが起こる)だろうが、そのときに各人が適切に情報を発信し正しく情報を受け取り、自らの社会の多様性を自らの手で勝ち取ることが求められよう。自らの不遇を訴えるだけでは、思わぬ結果を招くことを胸に刻んでおかねばなるまい。

 

ここまで適当に思いつくまま、色々書いてきたが、新年明けましておめでとうございます。

今年も今年を共に作って生きましょう。*3

*1:完全に僕の主観だが

*2:割合は不明なので説得力はないが

*3:この記事を「2017年にやりたいこと」という記事として投稿するのは迷いがあるが、それでも投稿するのは、私はこのような投稿を見ると顔がほころびるからである

今週のお題「2017年にやりたいこと」