自分の生き方を考えるための日記

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概念にリプレイスしてしまう人生

この記事はネタバレを含みます。

 

魔法少女まどか☆マギカのネタバレを含みます。

 このアニメの最終話で、まどかは新しく構成された世界において、人間であることをやめ、概念となってしまう。

 

よくよく考えてみれば、歴史上に人物は、概念になってしまった偉人も多い。例えばエジソンは、英語でan Edisonと言えば、エジソンのような発明の天才のことを指す。そこに、エジソンという、かつて実際に存在したであろう一人の人間は、「発明王」という言葉で括られてしまい、発明の天才を表す代名詞となってしまっている。過去の人物の概念化である。

 

マザーテレサと言ったって、我々が思い浮かべるのは、実際に何か我々との間に関係を結んだマザーテレサではないし、休みの日にキャラに合わぬ姿を見せるマザーテレサではないし、「あの」献身的なマザーテレサである。

マザーテレサの考えは立派だが、もし彼女が自分自身を「私は献身的で〜といった人間である」というように、概念として捉えていたならば、彼女は人間をやめている(と見れなくもない)。それこそまどかは現代のマザーテレサであり、どうしようもない世界で自らの人間性を犠牲とし、自分が概念になってしまうことを選択した。

 

もちろん、どうしようもない世界において、そのような選択は素晴らしいものである。しかし、それは、どうしようもない状況であるから他の選択肢がないことも大きい。まどかだって、あんな世界でなければ、自らが概念になってしまうという選択などするはずもなかった。また、概念となることが素晴らしいのは、あなたがなろうとするその概念自体が本当に素晴らしいものである場合に限ったことである。そして自身がその重要性を認識し、自ら選択して概念になったからである。

我々は現代の平和な社会に生活しているのだ*1。どうでもいいような概念に自己をリプレイスしてしまってはいないだろうか。何か自分の「信条」を持って、その正しさを証明するためだけの人生を歩んでいないか。自分自身を概念にしなければ環境にもいないのに、自分自身を概念にしてしまうに足る考えも持っていないのに、概念として行動する必要はないのではなかろうか。

*1:しかし、個人から見れば大変な世界で生きていることは十分あり得るし、そのような状況にあれば自分も概念となることを選ぶかもしれない