自分の生き方を考えるための日記

最大の読者が私だということを書き手の私は肝に銘じよ

「『分からないこと』に対する向き合い方」を知るための準備論

今日は、私自身のために、ブログを書こうと思います。

自分のために何かすることことは、結果的に周りのためにもなるのでいいのではないかと思って書きます。

 

小さいころは、自分が意識できることは、「分かっている」ことだけだったと思う。

例えば善悪の判断でも、「良い」か「悪いか」のどちらかのものしか目に見えていなかった。だから、分からないものが出てくれば、「これは良いものだろうか?悪いものだろうか?」と考え、その場で判断を下してきた。成長するにつれ、分からないものなどないと思えるようにもなりつつあったし、今後もどんどん分からないことが減っていくと思っていた。

しかしそれは、途中までの話だった。いつごろからかは分からないが、学問をするにつれて、むしろ「分からない」と判断するべき物事が増えてきた。

 

私はいい加減、『「分からないもの」についてどう向き合えばよいのか』を、論理的に分析、構成し、自分の分からないものに向き合っていくスタイルを作り上げなければならない時期にきている。

これは意外と難しい。「分からない」ということは、それ自体のことが分からないということなのだから(同語反復になってしまうが意味が通じるだろうか)、判断基準を持たない、ということになる、単純に考えれば。あるいは、どういう判断を下してもよいのだと、自分の好き放題をする人もいる。逆に、どうすればいいのか不安になり、行動できない人もいるだろう。

 

理系ならば、「物理」というものが、いったんは完成しかけたように見えたにも関わらず、実はそんなことはなかったという歴史的経緯をご存じだろう。「物理」は当初、あらゆる万物の将来を予測できるものと期待されたし、そのうちすべてが解明され、物理学者の仕事はなくなるのではないかと思われていた。

しかし、そんなことはなく、あらゆるものの将来を予測することは不可能だということが証明されるに至る。また、この世のあらゆる問題を解決できる万能機械の存在もあり得ないことがすでに証明されている。「物理」で将来が予測できないなら、物理で将来を予測することそれ自体、意味のないことではないか?と思ってしまうだろう。しかし、実はそうではないのだ。「分からない」のだが、そのことに対し、「確率」という武器を使って、意味を見出すことができる。

 

物理の話はこの辺にしておくことにする。ただ、現実世界について、アカデミックに「確率」などを持ち出して、分析しようとは思わない。もっと抽象的な私の周りの世界に対し、特にその中の「不確定要素」に対し、どのようなスタイルで臨んでいくかが、大事で、

「その(スタイルの)感覚をつかみたい。それは、論理的にではあるが、確率などを持ち出すのではなく、「分からない」ことの存在に気付いた自分の今の考え方をある意味延長したような、それでいて、今の自分の考え方を少しメタ的に進化させた、これまで通りの思考の感覚で世の中に接していきたい」

と、こう思っている。

まさか、今まで世の中を見てきた私の思考が、そんなアカデミックに構成されたものではあるまい。だからこそ、私は、今までの思考の延長として、自分の思考を再構成したいのである。

 

よく、大学で学んだ論理学や知識をもとに、自分の考え方を再構成する人がいるが、もしその考え方が、今までの自分の思考とは全く別物として新たに作られたものであるなら、それはいろんな面で良くないと思う。

まず、自分の今までの考えが全く反映されないのだから、その人の今までの生き方、経験を、利用できてないというところである。そういう人に限って「昔の自分は間違っていた」というが、新しい考え方を手に入れて、その考え方から昔の自分を眺めても、意味がない。「成長する」とは、自分の考え方をどんどん延長させていって、その結果、小さいころの自分の考え方を見直してみて、今の考えでは当時の自分の考えがどのような位置づけになるのか、考え直すことである。そして、小さいころの考え方の、良い面も、悪い面も、認めることである。そうすることで、さらに「考える」ということそれ自体にもヒントが得られる。今までの自分の考え方とは切り離し、ただ外部から新しい考え方を取り込んでいくだけでは、それは空っぽな箱に外からの考えを拾っては捨てていく機械と同じだ。

第2に、そんなやり方では、同じ考えの人が量産されてしまうだけだということだ。今の世の中はアイディアが大事で、いろんな人が、自分の経験や、自分の考え方からいろんなアイディアを持ち出すことが一番大事である。外から考え方をとってきただけの人間など、アイディアの面では役に立たない。もちろん、外から考え方をとってくることそれ自体を否定しているのではない。今までの自分の考え方を捨て、外の考えを、今までの自分の考え方とは切り離して輸入してくるだけなのがダメということだ。

 

だから、自分の「分からない」ことに対するスタイルを、今までの自分の普段の思考の延長として、今までの考え方を発展させたものとして、論理的に再構成したい。

これは、簡単なことではないから、しばらく考えて、もし答えが出れば、またここに書きたい。

 

その「『分からないこと』に対する向き合い方を知る」ことの前段階として、このエントリーを書いた。