論理はとっても大事である。
論理はとっても大事である。
世の中の試験のほとんどは、暗記量を見るものでなければ論理性をみるものになっている。中学、高校、大学と、論理的思考力を養うことが大事だと言われ続ける。社会に出ても、物事を論理的に見て対処するべきことがいっぱい起こる。
論理は確かに、非常に大事なものだ。
しかし、あなたが「論理的に正しいことに安心を感じる」のなら、本当に、論理だけを見ていれば、それでいいのだろうか?
違うと思う。
論理は大事だし、世の中のあらかたのことは、しようと思えば論理で説明できる。しかし、考えてみよ。論理は、人を説得する道具だという側面があるが、論理を説明して、相手に分かってもらえるのは、相手や自分が理解できる程度の、明白で低次な論理関係だけではないか。
論理は大事だが、その論理をどう使うか、これが人生ではもっと大事だ。
論理に、どういった意図を込めるか、これが大事だ。
人間の頭で、論理的に完全に正しい解答にたどり着けるものなんて、都合よく抽象化したごく一部のものぐらいだろう。
その溝を埋められるのは、自己本位、つまり、論理に込めた意図しかないのではないだろうか。
しかし、論理を侮ってはならない。
自己本位とは、論理の溝を埋めるためのものであって、「何でもあり」という「非論理的なもの」ではないという論理を、今一度確認する必要があるだろう。
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追記:もし論理的に考えられないのなら、(場合にもよるかとは思いますが、)あまり難しく論理的に考える必要はないと思います。この結論こそ、論理の飛躍があって、かなり大きな溝を私の意図で穴埋めをする形になりますが、上に書いたことと矛盾はしないはずです。